年号 | 日にち | 風林火山のできごと | このころの背景 |
1541年 (天文10年) | 7月 | 関東管領・上杉憲政が信濃の佐久を目指して侵攻。 諏訪頼重が武田・村上との協定を無視し、単独で上杉勢を迎え撃つ。 両者は武田の領地を勝手に分け合うことで和睦。 この機会に、わが家再興の望みをかけていた真田幸隆、ショック | |
勘助、晴信と一緒に温泉につかる。(何のサービス?笑) | |||
12月 | 勘助、教来石民部とともに高遠に向かう。 | ||
勘助、教来石とともに諏訪に向かう 途中、平蔵と再会。矢崎の娘、ヒサも一緒である。 | |||
12月末 | 勘助、諏訪湖の御神渡りを見る。 由布姫が神子姿で登場。 | ||
晴信、甲斐の新しき旗「風林火山」を掲げる。 春日源五郎、晴信の小姓になる。 | |||
1542年 (天文11年) | 4月4日 | 諏訪家嫡男、虎王丸が生まれる。 | 徳川家康が生まれる。 |
ヒサ、有賀家へ嫁ぐ。平蔵またしても想いが成就せずかわいそうに失恋。 | |||
6月24日 | 晴信、領主となってから初の出陣。諏訪へ。 | ||
7月2日 | 諏訪勢桑原城へと一時撤退、その際上原城に火をつける。 | ||
7月5日 | 諏訪頼重、武田に降伏。 | ||
7月21日 | 諏訪頼重、切腹する | ||
桑原城後詰めのため、勘助、板垣とともに再び諏訪へ。 平蔵と再会、ひさびさに葛笠村トリオがそろう。 | |||
勘助、由布姫と対面。 必死に生きようとする由布姫がミツとダブる。 由布姫を殺さず、逃がすことにする。 | |||
9月 | 高遠頼継、武田に反旗を翻す。 | ||
9月25日 | 武田軍、高遠軍と激突。 平蔵、有賀家より落ち延びたヒサと再会。 | ||
10月 | 武田軍圧勝。 高遠軍の連峰軒様あっさり討ち死に(ちょっと気になる存在感だったのに) | ||
晴信、諏訪を完全掌握。由布姫を側室として武田に来るよう、勘助を促す。 | |||
1543年 (天文12年) | 1月19日 | 晴信の妹、禰々死去。 | ポルトガル人が鉄砲を伝える |
三条夫人と由布姫、2度対面し、火花をちらす(笑)。 「おやかた様のよさは見た目ではわからぬ」「おやかた様はあまり見目麗しくありませぬが・・・」と、 晴信がいないところでとことん言われている。 | |||
由布姫、晴信の側室となる。 | |||
9月19日 | 大井貞隆、長窪城を占拠。 武田軍、これを包囲。 大井勢のもとには、相木市兵衛、平蔵、矢崎十吾朗、ヒサがいる | ||
勘助の調略により、武田軍勝利。 勘助、武田の軍師となる。 | |||
12月 | 由布姫、諏訪に戻る。 | ||
晴信に、長女が授かる。 | |||
1544年 (天文13年) | 伊那の豪族が反武田を決起。これに乗じて高遠頼継が行動を起こす。 | ||
1545年 (天文14年) | 4月 | 武田軍、高遠城を落とす。 次いで福与城を落とし、小笠原に侵攻 | |
由布姫に子供が出来る。 | |||
今川義元、北条氏康を攻めるため富士郡善得城に布陣 対する北条軍、吉原城に布陣。 武田軍、今川の援軍を頼まれる。 | |||
勘助、今川と北条との和睦を推挙する。 | |||
1546年 (天文15年) | 2月 | 越後で長尾影虎が上杉家の家臣・黒田秀忠の起こした反乱を制圧。 | |
4月 | 河越の戦にて北条軍が上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏連合軍に勝利 勘助、これに乗じて、真田幸隆を見方に引き入れようとする | ||
由布姫、男児を生む。名は四郎(後の武田勝頼) そのころ勘助は福島彦十郎に撃たれたため、生死を彷徨っている。 | |||
5月 | 真田幸隆、武田軍に入る | ||
晴信、佐久郡内山城に侵攻。 このころから晴信が、ブラック晴信となってくる。 教来石民部、馬場信春となる。 | |||
真田幸隆、晃運より六道銭を賜る。故郷の真田郷に再び戻ることが叶う。 |